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【第5話】窓のない部屋から青い空の下へ:会社を捨てて見つけた本当の働き方

ノマドワーカー小説
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第5話:最初の一歩

「では、技術文書ライティングの基本へようこそ。私は講師の高橋です」

健太はノートパソコンの画面に映る40代前半の女性の姿に見入っていた。土曜の朝9時、彼は初めてのオンライン講座に参加していた。アパートのキッチンテーブルが、今日からの「教室」となる。

「このコースでは、技術的な内容を分かりやすく伝えるスキルを学びます。SEやエンジニアの方々が特に活かせる内容となっています」

健太は背筋を伸ばし、ノートを開いた。ペンを握る手に少し力が入る。これは彼にとって、会社以外で自分に投資する初めての経験だった。

「まず最初に、皆さんの自己紹介をお願いします。チャットに、お名前と現在の職業、そして受講の目的を書き込んでください」

健太は迷わずキーボードを打った。

「佐藤健太と申します。現在SEとして働いています。将来はフリーランスのライターとして独立することを目指しています」

送信ボタンを押した瞬間、彼は自分の言葉に驚いた。「フリーランスとして独立」—これまで誰にも言ったことのない目標を、初めて他者の前で宣言したのだ。画面上には次々と他の受講生の自己紹介が流れていく。

「マーケティング部で働いています」 「Web制作会社でディレクターをしています」 「主婦ですが、在宅で仕事を始めたいと思っています」

高橋講師が満足げに頷いた。「多様なバックグラウンドをお持ちの方々がいらっしゃいますね。この講座では、それぞれの経験を活かして、新しいスキルへと発展させていきましょう」

健太は画面に集中した。これから12週間、毎週土曜の朝がこの時間に充てられる。1万2千円の投資。決して安くはないが、彼の未来への最初の賭けだった。


「今週の課題は、自分の専門分野について初心者向けの説明文を500字で書いてください。次回までに提出を」

2時間の講義があっという間に終わった。健太は画面に映る課題を確認し、講義資料をダウンロードした。頭の中は新しい情報で満ちていた。「読者ペルソナの設定」「専門用語の言い換え」「構造化された文章の作り方」—すべてが新鮮で刺激的だった。

彼はノートPC画面の反射に映る自分の姿に気づいた。久しぶりに、目が輝いている。

「よし、早速課題に取りかかろう」

健太は部屋を片付け、デスクに向かった。しかしそのとき、スマホの着信音が鳴った。会社からだ。休日出勤を求める連絡だった。プロジェクトの進捗が予定より遅れており、明日の会議に向けて資料を準備する必要があるという。

「わかりました、1時間後に行きます」

電話を切った後、健太は深いため息をついた。講座の余韻に浸る時間も、課題に取り組む時間も奪われてしまう。しかし、これが現実だ。少なくとも今はまだ、会社員としての責任がある。

「課題は明日の夜にやろう」

彼は重い足取りでシャワーを浴び、会社へと向かった。


「佐藤、このデータ、おかしくないか?」

休日出勤した会社で、健太は資料作りに没頭していた。その後ろから、同じプロジェクトの松田が声をかけてきた。

「どれ?」健太は振り返った。

「このユーザー行動分析の部分。一般ユーザーが理解できるか疑問だよ」

健太はデータを見直した。確かに専門的すぎる表現が多い。そして彼は思い出した—今朝の講座で学んだことを。

「そうだね。ちょっと書き直してみるよ」

健太は松田の指摘を受けて、資料の該当部分を修正し始めた。専門用語を言い換え、文章構造を整理し、図解を追加する。朝学んだばかりの技術を実践してみると、不思議なほどスムーズに言葉が紡ぎ出された。

30分後、健太は修正版を松田に見せた。

「おお、これならわかりやすい!どうやったの?」

「ちょっとしたコツさ」健太は小さく微笑んだ。講座で学んだ知識がすぐに役立ったことに、静かな喜びを感じていた。


日曜の夜、健太は疲れ切った体でアパートに戻った。予定通りなら今頃は講座の課題に取り組んでいるはずだった。しかし、会社での作業は予想以上に長引き、もう夜の10時を回っていた。

「明日は月曜日…」健太は憂鬱な気持ちになった。しかし、彼は意を決して講座の資料を開いた。たとえ少しの時間でも、課題に取り組む必要がある。

「専門分野について初心者向けの説明文…」

健太は考え込んだ。彼の専門であるデータベース設計について、どう説明すれば良いだろう?ペルソナは誰にすれば良いだろう?

講座で学んだ手順に従い、彼はまず読者像を具体的に設定することにした。「IT知識はほとんどないが、自社のデータ管理に関心がある中小企業の経営者」。そして、その読者に向けて、データベース設計の基本概念を説明する文章を書き始めた。

何度も書き直し、言葉を選び抜き、文章を磨いていく。気がつけば深夜12時を回っていた。眠気と戦いながらも、健太は作業を続けた。

「完成…」

提出ボタンを押したとき、健太は疲労以上の何かを感じていた。達成感だ。長い間忘れていた感覚が彼の心を満たしていた。「自分の意志で」取り組んだ作業ならではの満足感。

彼はベッドに横になりながら考えた。「フリーランスになれば、毎日がこんな感じなのかな」。厳しいスケジュールの中での作業、締め切りに追われるプレッシャー、それでいて自分の成長を実感できる充実感。


金曜日の夜、健太のメールボックスに通知が届いた。講師からの課題評価だった。

「佐藤さん、素晴らしい出来栄えです。専門知識をわかりやすく伝える才能がありますね。特に比喩表現の使い方が秀逸です。次回も楽しみにしています」

健太は思わず笑みを浮かべた。誰かに自分の才能を認められるのは、久しぶりの経験だった。会社では当たり前のように仕事をこなしていても、ここまで具体的に褒められることはなかった。

「これが、自分の可能性なのかもしれない」

健太はその夜、久しぶりに自分から友人を誘い、居酒屋で一杯飲むことにした。会社の愚痴ではなく、新しい挑戦について語りたい気持ちが湧いていた。

「フリーランス?真面目な健太がそんなこと考えてるなんて意外だな」友人の田口は驚いた様子で言った。

「まだ始めたばかりだけどね」健太は少し照れながら答えた。「でも、なんか…可能性を感じてるんだ」

「応援するよ。でも、いきなり会社辞めたりしないよね?」

「もちろん。まずは副業から始めるつもりだよ」健太は頷いた。「今は知識を吸収している段階かな」

「そうか。健太がそんな風に生き生きした顔するなんて久しぶりに見たよ」田口は笑った。

その言葉に、健太は自分自身の変化を改めて実感した。確かに彼は、少しずつだが変わり始めていた。


翌日の土曜日、健太は2回目の講座に参加した。前回よりも積極的に質問し、チャットでの議論にも加わった。講座が終わった後も、オンライン上で受講生同士の交流が続いた。

「みなさん、技術ライティングの実践のために、ブログを始めてみてはどうでしょう?」ある受講生が提案した。「お互いの記事を読み合って、フィードバックし合えますよ」

健太はその提案に心が動いた。ブログ。自分の言葉を世界に発信する場所。それは怖くもあり、興味深くもあった。

「やってみようかな…」

彼は週末をかけて、無料ブログサービスに登録し、シンプルなデザインでブログを立ち上げた。タイトルは「SEの視点—技術を伝えるための備忘録」。まだ誰にも見せるつもりはなかったが、自分だけの小さなスペースができたことに、奇妙な高揚感を覚えた。

健太は最初の記事を書いた。「データベース設計の基本—身近な例で理解する正規化」。講座の課題を発展させた内容だ。投稿ボタンを押す前に、彼は深呼吸した。

「これが、僕の最初の一歩だ」

ボタンを押した瞬間、彼の心に小さな扉が開いた。それは「窓のない部屋」から抜け出すための、確かな一歩だった。


日曜の午後、健太はカフェ「ブルースカイ」を再び訪れた。前回の偶然の出会いから数週間、彼は少しずつ変わっていた。

カフェに入ると、前回と同じように人々がノートPCを開いて作業している。今回は彼も自分のPCを持ち込み、彼らと同じように席に着いた。

隣の席には見覚えのある顔—前回出会った鈴木さんがいた。

「あれ、佐藤さん?」鈴木さんが彼に気づいた。

「こんにちは」健太は微笑んだ。「あの日以来、色々考えていました」

「そうなんですね」鈴木さんは嬉しそうに答えた。「何か始めたんですか?」

「Webライティングの講座を受け始めたんです」健太は少し誇らしげに言った。「それと、ブログも」

「素晴らしい!」鈴木さんは心から祝福するように言った。「それが最初の一歩ですよ。自己投資は決して無駄になりません」

「自己投資…」健太はその言葉を反芻した。確かに、彼が講座に支払った1万2千円は「投資」だった。時間もエネルギーも、すべて自分自身の未来への投資だ。

彼はコーヒーを注文し、PCを開いた。今日の目標は、ブログの2つ目の記事を書くことだ。周りには同じように作業する人々。前回は彼らを別世界の人間のように感じていたが、今は自分もその一員になりつつあるように思えた。

窓から差し込む陽光が彼のキーボードを照らしていた。健太は深呼吸し、タイピングを始めた。「窓のない部屋」の外の世界は、思ったよりもずっと近くにあったのかもしれない。

次回、第6話「師との出会い」 講座が進むにつれ、講師の高橋さんから特別な注目を受ける健太。そして彼女の紹介で、元商社マンでフリーランスとして成功した村上という男性と出会う。厳しくも温かい村上の言葉が、健太の人生の転機となる—。

 

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